皆さんはどう思われますか
  皆さんの善意の義援金に対する県の対応を   2010.3

2008年8月末迄ミャンマーサイクロン義援金を兵庫県は集めました。総額21699626円の善意の寄付金が集まりました。10月なっても何の報
告もないので県へ問合せるとミャンマーの事情はよくわからないので情報収集しているとのこと私も被災地に入った一人として情報提供はさせ
て頂きますという事で長田区の友人宅で防災企画課の上り口氏他一名の方と出会い現地の実情を伝え現地での記録ビデオ、写真等も渡しま
した。各国からの支援金、支援物資がどうなっているのかの実態も話し皆さんの暖かい気持ちが100パーセント現地の人々に届くように一日も
早い支援をお願いするとともにとくれぐれもよろしくとお願いしました。12月に入っても何の連絡もないので県会議員を通じて聞いてもらうと相変
わらず検討中とのことでした。
2009年1月にも電話しましたが相変わらずの答え県のほうも現地へいくとの話も聞いたので現地に行かれても初めてでは何も出来ない国なの
で現地で活動されている団体、日本人会のことなども話しそこらで聞かれるほうが良いという事もつたえました。翌2009年2月に私も現地へ行く
ので何か協力できればと思い担当課へ電話すると担当されていた平澤氏から病院を建てる予定なので病院について分かる事があればとのこ
とでした。その時に紹介した団体に兵庫県の方が来ましたかと聞いてみましたが聞い私が教えたところには誰も来てないとのことでした。  3
月に県会議員を通じて調査結果を報告しました。現地の日本大使館の領事とも話しましたが大使館がODAで建てた病院でさえいろいろ問題が
あると話された事も伝えました。どこかに寄託されるにしても当然計画書や見積書等は取っての上で検討されると参考にと思い現地の物価な
どの調査報告も、しておきました。
4月に訪庁し知事(震災の体験を生かしまた忘れずにというような話をよくされているので)にも面会を求めて事情を話しようとしましたが一個人
では出会う事は出来ないようで断られました。秘書の方が担当課まで連れて行ってくれたので担当課の平澤氏に出会い一日も早く支援をお願
いしたいという話をしました。しかし4月.5月と過ぎても同じ状態。その間知事への面会も何度かしましたが 同じ結果。5月にはホームスティして
いるミャンマーの子も連れて行きましたがだめでした。せめて私の要望を知事に伝えてほしいと秘書課の方にお願いだけしておきました。被災
から1年もすぎて尚支援がなされない実態を腹立ちくさえ思いました。
 6月に入って再度訪庁そして担当課の平澤氏からIOMに義援金を託したことを伝えられました。その時にはたして託された皆様の善意がどれ
くらい届けられるでしょうねという話もしました。   いろんな団体の実態を知っているだけに.........。2009年12月から2010年1月にかけて現地
へ井戸の贈呈式などがあるので行ったついでにどのようなものを造っているか現地へ行ってみようと思いましたが外国人は入れないとのこと。
政府の許可を取って現地へ行ってみました。IOMが現地で現地で建てていた病院、設備、医療器具などを見、現地の人たちからの話も聞いて
みるとどうみても2箇所造ったとしても寄託した金額の半分以下で充分できるような物でした。   
また現地の人たちはこれらの施設が兵庫県民(県外からの支援金も含まれているかも
しれません)の善意の支援であることは一人も知りませんでした。ビデオ一部見られます。ここをクリックてくだい。現地の人達はヤンゴンの二
人のお医者さんが建ててくれたと思っています。唯一建物の入り口に張ってあるプレート(下記の写真)に兵庫県民の支援であるということが書
かれていたが現地の人たちは英語は読めないので
わかりません。
                                     
      IOMのマークはだけはここだけでも何枚も入れられている
    まるでIOMが寄贈したかのように見える

この施設は近隣の8つの村の人たちが利用しているらしいですが船でしか行くことができないにもかかわらず肝心の船着場がきちっとした物が
ないため乾季になると水が減り上陸するのにぬかるんだ川に下りて行かなければならないような状態でした。現地の人たちが船着場を造って
ほしいとIOMに頼んだそうですが予算が無いと言われたといっていました。またIOMのホームページを現地で見たのですが兵庫県から20000
0ドルの寄付を受けたと書かれていましたが実際には当時のレートを調べればわかることですが220000ドル位はあったはずです。
帰国後これらの事実を県の防災企画課平澤氏に伝えどのような計画書なり見積書にもとづいて21616000円を送金されたのかその資料を
見せて頂きたいと言ったのですが提出してくれません。篠山市もこの募金には協力し送金しているので篠山市からも資料の送付をお願いして
もらったのですがいまだに送って来ないという事でした。どうして公開できないのか。帰国後にわかったのですが送金額との差額1083623円は
いまだに県が持っているとのことでした。現地ではまだまだ支援を必要とする人たちがおられるのにそのお金を残してどのようにしようとしてい
るのか。県知事もいつも言っておられるが震災の経験が何も活かされてない事を部下である職員がしていることを知っておられるのか。何度も
私が供託金をつむので私に使わせてほしいとお願いしたのですが個人には出来ないと言われたのでそれも理解できるので出来る限りの協力
はしてきたのですが結果がこのようになっているのが残念です。
支援は現地目線でするというのは原則です。薬もIOMから一度とユニセフから一度届けられましたといっていたが英語で書かれた外国製の薬
なのでダンボールに入れたまま部屋の隅に置かれていました。今でもヤンゴンで支援物資か道端で売られています。使い方の判らない物、必
要でない物はもらった人が売りお金に換える為に買ってくれる人に売るという事です。そうして集めた品物をヤンゴンで売っている人達が多くい
ます。現場のナースも薬が欲しいと言っていました。県の文書にはIOMの事業内容に保険医療スタッフのトレーニング、被災地域への保健教
育の実施などと書かれていましたがそんなことは一度も無かったという現地の話でした。
県に報告した後県はIOMに連絡したとの事でした。そうしたらIOMから今3箇所目を建てているということですと言う答えでしたとの事。それでは
最初に決められた事業総額はなににもとづいて算出されたのか。現場へ行くのも普通の人は立ち入ることが出来無いのでいいかげんな見積
書を出していたとしか思えません。私にはお金が余れば返却してもらうと平沢氏は言っておられたが現実がこうであるにもかかわらず何故IOM
のいう事だけを聞くのかの理解に苦しみます。大勢の人から預かった善意の重さを感じて欲しく思います。責任を感じて欲しく思います。十数年
間ミャンマーと関わってきた者としてどうしても許しがたくこれまでの経過を公開することにしました。
今残っているお金でこれ位の学校(ここをクリックしてみてください)なら一校建てることができますせめて残っている
お金でそうさせて欲しいと思っていますがたぶん聞き入れてくれないと思います。

     1. 兵庫県は県民から集めた善意の募金をIOMに送金した金額の根拠の資料を提出せよ。

     2. 災害から2年が過ぎようとしているのに集めた募金の内1083626円をそのままもっている理由は

     3. 現地視察をしたといっていたがその費用は何処から出したのか。また視察のレポートを提出せよ。

    兵庫県は善意の募金を集めた責任において上記のことを速やかに公開する義務があると思う

  参考。ミャンマー・サイクロン兵庫県義援金プロジェクトの内容

    兵庫県、兵庫県議会、兵庫県市町村会、兵庫県市議会議長会、兵庫県町村会、兵庫県町議会議長会 
    神戸新聞厚生事業団および兵庫県社会福祉協議会により構成された"ミャンマーサイクロン兵庫県義援金
    募集委員会"が平成20年5月21日から8月31日まで集めた義援金  この義援金により災害後の衛生
    保健対策の遅れや交通手段の未整備などから現地で求められているサイクロンで破壊された村レベルでの     保健施設に整備の
再建を行う。
        1. 事業内容 被災地の地域保健センター2棟の再建と再建期間中の保険医医療サービスの
           提供、保健医療スタッフのトレーニング被災地域への保健教育の実施という内容で事業期間は
          平成21年6月10日から平成22年2月9日までという約束でIOMに事業総額20,616,000円が
          渡された件についてのことです

  県民からの善意を上記プロジェクトの関係機関も100パーセント届けられるようにする義務と責任があるのでは   ないかと思います

その後の経過
                               
  2010年5月24日

4月からミャンマーへ行っていて帰国したのが4日前、県からの電話があっ  たとの事早速電話して新しい担当の小山さんと話をした。現地活
動の経験のある方で考え方の違いがあるにしろ始めてまともな返事と県の考え方の説明をうけた。災害から2年が過ぎようとしているのに集め
た募金の内1083623円をそのままもっている理由は完成した時の県からの現地へ派遣する旅費とかのためにおいてあるらしい。1. について
は最初の見積もりも必要なら出しますとの事だった。 事業に使った費用等の内訳はすべて完成してからIOMからの報告を待ってその報告書
を出すとの事。 3.については話をしなかったが今度の担当の小山さんなら善処してくれそう。集めた善意を100パーセントその目的のために
使うと言うところでは私の考え方と少し違いはあるがJICAでの活動経験のある方が担当されているので最終報告があるまで待つことにする  
  2010年8月
     IOMから事業が終わり報告がきたとの連絡あり。近いうちに訪庁の予定。
     
  2010年9月
事業内容と資金使用の内訳を見せてもらう。当初の計画では2箇所に保健施設を作るとの事だったが私が伝えた
現地の実情を小山氏の努力により、IOMにいろいろと伝えることが出来、もう1箇所の施設が出来、合計3箇所の保健センターが完成したとの
報告内容だったがそれらの施設に要した費用は1000万円弱だった。  最初の見積書とかがまだ見せてもらえてないのでなぜこのようになっ
たのかというのは、まだ判らないが、とにかく当初出された見積書とかの検討が甘かったとしか考えられない。見積書を出したIOMが余りにも
いい加減な見積書を出したのかもしれないが......。 最初の見積書などの資料も県の方が出してくれる事を約束してくれたので後日検討
して報告をします。
では残りのお金は何に使われたのか。報告では人件費とか運賃とか形として残らない支援その他 、諸々、でした。
資料がそろえば詳しく調べてみたいと思っている。小山氏が言われるように集めた義援金の幾許かは経費として消えていくのは仕方ないかもし
れないが善意の寄付をした多くの人達は寄付金は皆、現地の被災者の支援のために使われていると思っているのが私への意見メールでもよ
くわかります。
これからも色んな義援金募集を県はされると思いますが、いかにすれば善意の気持ちを100パーセント近く被災地に届けることができるかを
県のほうも検討して欲しく思いました。往々にして役所は新しいことを提言しても過去に例がないと言い余りにも前向でない考えで無難に処理し
ようとする。私に言わせると自分に責任がかかるのを恐れているとしか思われない。この間過疎の町を元気にした公務員のことをNHKで放送
していたがあの人のように新しい事でも勇気を持って実践していくようにして欲しい。また現在残っているお金(1083626円)は、よく検討して現
地の人達の為に使っていくという事も約束して頂いた。せめてこのお金だけでも100パーセント現地の被災地に届くような生きた使われ方を、
過去に例がないような方法ででも、いまも復興の途中の現地の人達に一刻も早く、支援をしてもらいたいものだと思う。どのような使われ方を
するのか見守って生きたい。
役所的思考であるにしろ最初の事業計画よりは追加事業がされた事には、今迄とは違う対応の小山氏の努力だと一定の理解はしている。

   続きはまた      皆さんのご意見をお待ちしております        TEL 070-5501-9021    
   
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